Peter Turrini: Ich liebe dieses Land (2001suhrkamp)

『ワタシ・コノ国ヲ・愛シテマス』――ペーター・トゥリーニの新作紹介――
内藤洋子
この戯曲は、2001年12月に、P. ティーデマン演出でベルリナー・アンサンブルにて初演された。トゥリーニがパイマン率いるこの劇団のために書き下ろした作品である。「ワタシ・コノ国ヲ・愛シテマス」というセリフは、まともに口にあるいは耳にすれば、なにやら気恥ずかしく一歩引いてしまうが、おりしも、わが国で教育基本法の改正が論議され、「国を愛する心」なるものを新たに盛り込んだ中間報告案が出されたことを想起すると、さらにもう一歩引けてしまう。
しかし、トゥリーニの戯曲のタイトルとなっているこの言葉を口にするのは、ベニという名のナイジェリア出身の若い黒人で、彼は今、ベルリンの強制送還者用拘置所に囚われの身である。全くドイツ語を解さない彼が、異国での苦境を打破しようと習い覚えてきた唯一のドイツ語がこの一文となれば、ドイツの観客にとって充分にイロニーの効いたセリフとなろう。
幕が開くと、拘置所の薄暗い一室に一人、手錠と鎖につながれたベニが長椅子にかけている。そこに登場するのが掃除道具を携えた掃除婦のおばさんとなると、この取り合わせのチグハグが、すでに笑いを準備する。彼女はベニに近づき、掃除用洗剤を見せて、「この“きれい名人”、今ならアルディ(スーパー)で30ペニヒ安く買えるのよ」と言う。幕開きの緊張を最初に破るこの台詞が、囚人部屋の重苦しい雰囲気に一気に風穴を開け、観客を笑わせる。
ここで掃除婦として働いているヤニーナは、20年前にポーランドからやってきた出稼ぎ労働者である。ただ一人ベニの身を気遣い、送還を免れさせようと懸命にベニにドイツ語を教え込む。彼女もまた、貧しかった子どもの頃、故郷のポーランドの村にいたドイツ人の弾くヴァイオリンの音に魅せられ、音楽の心をもつドイツに憧れ、豊かな暮らしのあるパラダイスを夢見て、ドイツにやって来たのであった。
 鎖でつながれたベニの前に、看守、医師、心理士、ジャーナリスト、そして警察署長まで次々に現れて、ドイツ語をまくし立てる。彼らの言動をまったく解さぬベニは不安に駆られ、怯え、そしてやみくもに、時に相づちを打つように、「ワタシ・コノ国ヲ・愛シテマス」と口にする。この言葉に触発されるように、彼らドイツ人の心のうちに深く巣くうドイツへの嫌悪感や、愛の不在の悲しみ、マスメディアで飛び交う言辞の空疎さへのいらだちが噴き出してくる。両者の静と動、沈黙と饒舌のコントラストのなかで、破滅の一歩手前で辛うじて営まれているドイツの現実、その日常の危うさが、露わになってくる。このあたりはトゥリーニのドラマ作りの見事さが際立つ。おりしも、拘置所の外を通る“ラブ・パレード”の喧騒が聞こえてくる。音楽を通して国境を越えた人間愛をうたう大テクノイベントで、毎年夏にベルリンに百万人もの人が集い、盛大に繰り広げられる。だが、その祭りの底抜けの賑わいをよそに、ここ拘置所の一室には、人間愛とは程遠い寒々しい世界がある。
ヤニーナは、脱走したベニと結婚式の真似事を演じ、真のドイツ人家族を夢見る。だがそれも一瞬。ベニは再び逮捕されて刑務所に放り込まれる。刑務所の中庭からベニの名を呼ぶヤニーナの声に耳を澄ますと、「“きれい名人”が今、アルディで、30ペニヒ安く買えるのよ!」
ベニはうれしそうに応える、「ワタシ・コノ国ヲ・愛シテマス」。
 最後にもう一度観客を大笑いさせて幕となるが、笑った後は、暗澹とした気持ちで寒々としてくる。トゥリーニの本領であるトラジコメディの逸品である。

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